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2009年5月 7日 (木)

吉田寅次郎・四

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玉木文之進の墓もある。玉木は乃木の弟の子を養子として育てたが、維新後。。。
萩の乱と言うのがあった。前原一誠を先頭に不平氏族が引き起こした暴動で、玉木の養子はコレに参加した。
その責任を感じたのか、玉木文之進は腹を切った。

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松蔭先生の墓。墓石の正面には『松陰二十一回猛士墓』
裏面には『姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳』と刻まれている。
墓前の水盤や花立は門人や妹たち17名が名前を刻んで寄進したもの。伝馬町で処刑された罪人の墓に。。。である。

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久坂玄瑞の墓。久坂の妻は松蔭先生の妹でもある。松蔭先生の死後、長州攘夷派の先頭を駆けたのは過激な武闘派久坂。

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そして、高杉の墓。 墓など。。。幾らでも建てれば良い (笑

Nikon D200 + AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18~200mm F3.5~5.6G (IF)

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コメント

kenさん;

玉木文之進の養子は乃木希典の弟の四男ですので処刑は免れたと思います。
萩の乱についてはあまり多くを語りたがらいのか?資料が少ないです。
不平氏族の武力蜂起は、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱。
そして西郷の西南の役と続きますが、私とてあまり触れたくないです (笑

玉木文之進の切腹を介錯したのは松陰先生の妹です。女性に首を落とさせました。

あと。
萩の乱をやった前原一誠は松下村塾の塾生ですし、玉木文之進は養子が参加したと
言うだけではなく、萩の乱そのものの指導的立場にあったようです。

投稿: Toki | 2009年5月 8日 (金) 13時27分

「その責任を感じたのか、玉木文之進は腹を切った」
やはり松蔭先生の先生は、最も「激の人」であったんですね。
その後、養子はどうしたんでしょう、やはり腹を切ったのでしょうか。

まだ幼い子どもを兵学の師匠にして藩侯までがその講義を聞いたという、やはり封建時代は変ですよね、しかしそれをこなした子どもはもっとすごいです。今そんなひとはいないです。やはり松蔭先生は偉大であったというところでしょうか。

投稿: ken | 2009年5月 8日 (金) 12時18分

kenさん;

私が萩に行ったのは5月1日です。ゴールデンウィークとは言っても平日でしたので人出は予想よりも
少なくて私には好都合でした。それでも松蔭先生の墓の前で結構長い時間、手を合わせている女性が
いましたよ。
歴史をどう受け止めるかは各々の感受性の問題で、一過性なブームであれナンであれ良い事ですね。
知らずにいるよりは知った方がずっと良い。
来年の大河ドラマは竜馬なので、そのお裾分けで少しは長州にも興味を持って下さる歴女様が増えて
くれると嬉しいです。ちなみに私は、賽銭箱に百円玉を一つ入れました (笑

投稿: Toki | 2009年5月 7日 (木) 21時58分

お賽銭受けがお墓にある、いかにもという感じ。
フアンにはたまらないメッカというところでしょう。静かな墓所に見えますがにぎあっているんでしょうね、特に今回の連休なんかは。高速代1000円でいけばよかったかな(笑
そこで手を合わせれば自分も英雄になれるかのように、近ごろ歴女という歴史上の武将ファンが増えて会津、上越、信州上田はにぎあっているようです、しっかりと勉強もしているようで、それはいい傾向ということでしょう。長州ではドウでしょうか?

投稿: ken | 2009年5月 7日 (木) 19時11分

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